2020年2月5日水曜日

優しさはモルヒネのようなもの

まだまだペーペーの若造といえども20年も生きてくればそれなりに人生というものに対する持論が出てくる。

僕の人生に対する持論の一つに、「優しさはモルヒネのようなもの」がある。モルヒネといえば末期医療の患者に使われる医療用麻薬だ。それが優しさと何の関係があるのか。

思うに、「優しさ」も乱用されると大概ロクなことにならない。現代社会は不快な騒音に加えて乱用された優しさもはびこっている。その優しさは表面上は何の問題も起こさないから余計にたちが悪い。よくどうでもいい人間を評価するとき、いい人と言ったりするが、良い例証だろう。しかし長期的な視点で見てみれば、その人の自立、しいては成長の助けにならない。というより優しさなど現代社会において何のアドバンテージにもなりはしないのだ。
 
引きこもりand不登校問題だってそうだ。ネットニュースを見てみれば分かるけど、彼らにとって甘すぎるとしか言いようのない文言で溢れかえっている。8050問題が目前に迫っていたり、或いは既に突入していたりする家庭に対して「社会はもっと配慮を」「そのままの君でいいんだよ」などのたまっていたりする。そんな甘言に弄されているようでは現実的な解決は望むべくもない。もちろんそういう事を発信する専門家は引きこもり家庭を地獄の底に叩き込むつもりではないのは明白だ。彼らは善意からやっているのだ。これこそ正に「地獄への道は善意で舗装されている」というヤツであり、優しさの弊害の典型例だ。

ただすべての優しさが有害というわけではない。うつ病とかで今にも自殺しそうな人に対しては「優しさ」だの「人間の温かさ」が特効薬になるだろう。そういう意味で僕は「優しさはモルヒネのよう」と表現したのだ。

塩野義製薬のホームページにはモルヒネの説明として、「乱用されれば保健衛生上の重大な危害を生じるおそれがあることから、その使用や管理は法令により厳格に規定されており、その取り扱いには十分な知識と注意が必要となります」と記載しているが、「優しさ」についても同じことが言えるだろう。

長々と書いてきたが、要するに「優しさ」と「甘やかし」を混同することがなければ別に何も悪いことはないのだ。優しさ乱用問題の根源はそこにあるのだから。時代遅れとか言われそうだけど、長い人生時には厳しさも必要だ。無菌室状態のまま大人になると日常生活に支障が出てくる。現実と自分の世界との齟齬に苦しむことになる。


<人生の持論その1>
「優しさはの取り扱いには十分な知識と注意が必要となります」